「ゆく川の流れは絶えずして」―江川達也『DEADMAN』を読んで
久~々~に書くブログが、これ。
そんな大した話じゃないのでツイッターで書こうと思ったが、台詞の引用だけで余裕で140文字制限超えてぶつ切りな感じになっちゃうの嫌で、こっちで書くことに。
特別、『DEADMAN』が好きなわけでも江川達也が大好きなわけでもなく、今の江川達也のスタンスを肯定するわけでもなく、読んで、ただ思ったこと感じたこと。
一応、ネタバレ注意。
つい先日、江川達也の『DEADMAN』という作品がキンドルでセールをやっていたので購入。全6巻だが、読んでてマジで眠かった……。
実験的な面白さはある―が!背景手抜きになり始めた頃の作品なのか、ある意味す~ごい。真っ白だったり真っ黒だったり。画も、アップカットやカットバック多用だったり、長台詞で埋めてたり。中盤辺りなんか、俺はAVのコンテを読んでるのか?って気持ちになった。
後半からトンデモ歴史本+江川哲学で、説教臭い、啓発臭いが、もし、ロボアニメとかでこの思想を持った敵が出てきたら面白いんじゃないかとは思った。
主人公の黒澤龍一の見た目にアダルトゲーム『デアボリカ』の主人公アズライトっぽさ感じた。『デアボリカ』BADエンドのアズライトが黒澤みたいな見た目だったような記憶。どちらも1998年の作品だが何か共通したモデルある?超長髪、当時の流行りか。何から火が付いた?
女の子キャラクターは相変わらず可愛い。この作品では歯の描き方がリアル寄りだけど歯はリアルにしないほうが可愛く見える気がする。
本題
『DEADMAN』の序盤と後半部分に、
「ゆく川の流れは絶えずして しかももとの水にあらず よどみに浮かぶうたかたは かつ消えかつ結びて 久しくとどまりたる ためしなし」
と、『方丈記』の一節が引用されている。
デビュー作『BE FREE!』(藤沢とおる先生の大ヒット作『GTO』はこの作品が元になっていると言ってもいいくらい)の最終回でも同様の部分を主人公である笹錦洸の台詞とモノローグで引用して使っていた*1ことから、この一節は江川達也に強い影響を与えていた(かなり重要な考え方になっていた)と思われる。
で、『DEADMAN』48話では、黒澤龍一の台詞に、
「それぞれの人間に 人生のそれぞれの道がある…」
「道を乱してはいけない…」
「それぞれの人生の川の流れ… 流れを乱してはいけない」
「自然の 人の世の それぞれの 流れの道に沿うこと… それが大事だ」
「流れを塞き止め 淀ますのは いけない…」
「流れれば清流も清いが」
「留まれば 濁る」
とあり、最終回は、ヒロイン?である上条真紀子の、
「『人の心の闇は澱む心から生まれる 人間の欲望が自然の流れを塞き止めて心は澱む 人間の欲望は心の弱さから生まれる 弱い心とは傷つきやすく癒やされ難い心 流れる心を持て』」
「あの時の彼はそれを教えてくれた…」
※彼=黒澤龍一
という、作品の雰囲気も相まってまるで怪しいセミナーで言われそうな、自己啓発くさいモノローグで物語は締められる。作品がもうちょっとちゃんとしていればこんなに自己啓発くささ出なかったようにも思うが(この言い回しだと何やっても出てたか?)……。
啓発くささは置いといて、上記の『BE FREE!』でもあった『方丈記』の一節の引用と、黒澤龍一の台詞、ラストのモノローグ、それらを読んで自分が感じたことは、何でこういう考えを重要視しながら、作品の基本、根底に置いておきながら(描きながら)、描いた本人が、今、あんな感じ、多方面にケンカ売るような、それこそ、「“流れ”を乱す」ような、「塞き止め、淀ます」ようなことを言う人になっちゃたのかなあ……っていう、悲しみ?虚しさ?
自分は、小さい頃に母がVHSで録画してくれたアニメの『まじかる☆タルるートくん』をよく観ていて、大好きで大好きで、劇場版の『まじかる☆タルるートくん』、『まじかる☆タルるートくん 燃えろ!友情の魔法大戦』、『まじかる☆タルるートくん すき・すき タコ焼きっ!』も繰り返し繰り返し観ていた。VHSもいまだに手元にある。
TARAKOさんが歌う『オレ タルるート』も、詞も、オープニングアニメーションも好きで、いまだに観る。今観ると泣ける。
最近もキンドルで『まじかる☆タルるートくん』買って読み直していて、時代的に今だと無理そうな、色々言われそうな描写もたくさんあるが、今読んでもタルるートの登場キャラクターは個性的で魅力的だし、面白い。本丸、タルるート、原子、愛らしい魔法アイテムの数々……伊知川累が結構可愛いキャラしてることに気づいたり、りあ・キナカーモは今の時代でもウケそうだと思ったり。
アニメや漫画の『まじかる☆タルるートくん』、『魔動天使うんポコ』、『BE FREE!』――そういう思い出、思い入れがあるから、今現在の、やる気なし、漫画描けば適当、口開けば炎上するだけのことしか言わなくなってて、叩かれまくってる、炎上ジジイ、痛い変な人扱いになってる感じが、ツラい。
「俺が好きな人を叩くな!」とかそういうのじゃなく。叩かれるのは当然だと思うし、自分も他の叩いてる人たちと同じこと思ってる(思わざるを得ない)。
もう4年も前の話だが某発言に奥浩哉先生が苦言を呈して軽い騒動になったことも記憶に新しいだろう。
どうしてこんなことになってしまったのか、どこからこうなってしまったのか(自分は未読だが『東京大学物語』辺りから?)、ただただ残念、無念。
『BE FREE!』ラストで描かれた、どんなに長い時間が経っても老いず、昔と何も変わらないままの、笹錦洸の姿。
今も頭から離れない。
今からでもいい、江川達也先生の前に黒澤龍一が、笹錦洸が現れ、言ってあげて欲しい。
「ゆく川の流れは絶えずして しかももとの水にあらず」